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野見山暁治展(ブリヂストン美術館)

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11/23に@taktwiさんの企画された野見山暁治展のギャラリートークに行ってきました。

Takさんのブログ
弐代目・青い日記帳

先日は日本経済新聞にも登場されていた@taktwiさん。どんどんと活躍の場が広がって嬉しい限りです。

野見山暁治展の担当の中村節子学芸員によるのギャラリートークはとても楽しく内容の詰まったものでした。

このギャラリートークを拝聴したのが11/23のこと。

聞きながら見てたので、これはじっくりと作品と向き合いたいなと思い、早速昨日に再訪してきました。

というわけで変則的ですが本記事はトークショーのメモと後日見た感想との2段構成となります。



<11/23(祝)トークショーにて> ※中村節子学芸員のお話をメモしたものから起こしました。

野見山暁冶はブリヂストン美術館での展覧会で注目されて、過去に3度の回顧展が開催された。

今回は2006年以降の作品も。

10年経つとスタイルが変わる!全画業を網羅したいとのこと。

父が炭鉱業に乗り出すも失敗。その後、質屋を経営していたところに質草がとして炭鉱の経営権が入ってきたのでこれを買い、再び炭鉱業に乗り出し成功!!

以降、煤にまみれた生活。

東京美術学校に入学するも、アカデミックな方針が合わなかった。

それでも画家たちの作品を通してフォービズムを理解していく。

その後、戦争が始まり戦地へ。暁治は病気のため内地へ送還されてしまう。

そして、福岡で空襲に会う。

恐ろしかったがなんと美しい光景かと。

ところが翌日焼け野原に死んでるんだか生きてるんだか分からない人間がごろごろと転がってる。

「人間とは何だ?」

今西中通という画家と仲良くなる。

彼とこんな約束をした。どっちか先に死んだほうの頭蓋骨を取り出してもらうことにしようと。

だが、中通が先に亡くなるものの奥さんが遺体を荼毘にしたためにこの約束ははたされなかった。

暁冶はなんとしても骸骨がみたくなり大学から借りて実際、家には骸骨がいくつもごろごろしていたとのこと。

これらの骸骨や造花、静物をキュビズム的に描いた。

エル・グレコを見て、これこそがキュビズムと思ったところで炭鉱を思い出した。

そして、パリへ。

一年分の費用を用意していったものの節約して2年滞在することに。(実際には12年にもわたって滞在してしまう)

ところが現地の美術館で絵画を見て実際に描こうと思い日本から持ってきた絵の具を見てみると使いたい色がない!

パリですっかり色彩感覚がかわってしまったのだ。

パリに渡って3年。日本に置いてきた新婚4年の奥さんを呼び寄せたものの癌で余命が短いことを知る。一年で奥さんを亡くすと失意に暮れた。

しばらくは描けなかったという。

それでも当時、ブリヂストンでの展覧会の話が来て、日本へはいかんかったものの現地から作品を制作しては送ったという。

知人の教えてもらったライ・レ・ローズの丘はよく見に行っていたという。

丘を見てるうちに丘の上に人物が見えてきた。

そして、次第に作風は抽象へ。

西洋的なものに憧れを抱いていたが、ギメ美術館で見た山水画を撮った写真を見て自然を象徴とみなした東洋の作品に心を打たれた。

その後、スペインを経由して日本へと帰国。

生まれ育った場所に根ざした表現。それを目指そうとしたがパリに12年居たことで感覚が日本的でなくなってしまった。

それでも時間をかけて模索して「蔵王」の樹氷の表現などへと結実していく。

やがて、芸大から声がかかり職員となるとローンを組んでアトリエを借りた。

バレエの衣装を積み重ねてデッサンし、人工的な自然を描いた。

別荘地にもうひとつのアトリエを借りた。

そして、自然から直接、下描きなしで描くようになった。

あるとき、アトリエの階段を描き始めるといくつもの階段モチーフの作品が生まれた。

・誰かが来る
・部屋の中の海

石灰の会社の社長からの依頼で山を描いた。

・戸高鉱業の山


自然観を覆す体験。

もうひとつのアトリエのバルコニーの甕。

暴風雨が甕の周りをうずまく。ある瞬間に甕が浮き、割れたのだという。

自然はデーモンの手下でふとした瞬間にその姿を現す。

実在だと思っていたものが現象でしかない!

具象性が失われる。

作品タイトルはメモしたもののリストを用意。

絵と並べてお見合い。その場で決めてしまう。

でも、なんとなくその感じに近いタイトルになっている。絵と言葉が上手く合っている。

2003年以降のものは大回顧以降の作品。

暁冶の忘れられない2つの景色。

?旧:満州で上官から「おまえたちはここで死ぬ」と言われた時の景色
?空襲の後の景色

3.11の東日本大震災の後、「行かなくてはいけない!」

NHKの取材班と同行して現地に行ってきた。

そして8月に完成したのが「ある歳月」。

暁冶、曰く。「10年経ったらもう1回やる」と。


とても流暢で楽しくかつ内容として充実のギャラリートークでした。



<ここからは11/26(土)に見てきた感想>

「焼け跡の福岡県庁」

やけただれた都市は虚しい。

その衝撃がよく分かる。ただただ見てて寂しくなる。


「ベルギーのボタ山」

ブルーと赤。炭鉱だけどもとても色使いが派手。

さっきの部屋でみた日本で描いた炭鉱の絵とは大違いでびっくりとする。


「落日」

太陽の上の赤紫にぬられた領域。

夕日の絵でこういう表現をした絵を見たことがありません。

暁冶にはこう見えていたのでしょうね。


「人間」

ひととひとに見えなくはないがぱっとみてこおのタイトルは思い浮かぶまい。

ピンクの背景に白いもの2つ。この白いのがフォルムも含め骨に見える。


「冬の樹」

白っぽい灰色と紫。

激しい筆致が冬の厳しさに見えてくる。


「近づいてきた景色」

アトリエの大きな窓に見えるキラキラとした風景。

光のゆらぐような空気の煌きみたいのが出てる。

画面、左の壁に見える暁冶の驚いた顔がおかしい。


「終日」

こういうのはすごく難しい。表面を覆う白いぬらぬらとしたもの。

その間から種子みたいな人みたいなのが顔を覗かせてる。

気分とか形に出来ない感覚が表出されている。


「ぼくの生まれた川オンガ」

子供の頃は炭鉱から排出される煤で真っ黒だったものが、後年行ってみるとキレイになっていたとのこと。

この汚れた川の景色は記憶の向こう側。


「さっきは御免」

樹にも人にも見えてくる不思議な形。

両端をつながれたのはなにものか?


「ほのかなアンニュイ」

人物の顔っぽい。

こういうポカーンとした風合いもかわいらしくてよい。


「ある証言」

ギャラリートークに出てきた甕の絵。

甕の周囲を人知外のものがとびかってる。

呪術のようなパワーが蠢いてる。


「風の便り」

塗り残しのバランス、黒のライン、水色の妙なフォルム。


「産声をあげる神野山」

タイトルからして具象的な風景画なのだけども抽象にも見えてくる。

この線引きっていうかさじ加減が上手い。


「誰にも負けない」

最強ってタイトルはただただかっこいい。

爆発したきのこ雲みたいなのはバラの花にも見えるのが面白い。

ピンクがパワフル!


「いつかは会える」

ステンドグラスの下絵。

というかこの複雑なフォルムと色の合わせはまさかステンドグラスとは思えず。

自由このうえない。


「誰にも言うな」

茶色い太陽みたいのが言うなと告げる手に見える。

タイトルと作品の持つトーンがばっちりとはまってる。


「かけがいのない空」

赤が鮮烈。

トークショーでちらっと触れられていたステンドグラスの影響?

他の色や塗りがこれまでのものなのでより赤が引き立つ。


「ある歳月」

震災後現地に行ってから描いた作品。

カオティック。どうしても被災のイメージで見えてしまう。

赤は血しぶき、青は海、緑は山。

画面にはいくつかの亡霊が彷徨っているように感じた。

この絵はどきどきする。不穏さがダイレクトに直撃してくるかのよう。


10年後、また是非ここブリヂストン美術館で展覧会をやって頂きたいですね。

野見山さんの元気さならまだまだやれますよ、きっと!!

90才で現役でかつ新作がかっこいい作家さんなんてなかなかいませんよ!

12/25まで。

こちらの絵本の原画が展示されていました。
しま野見山 暁治光村教育図書空のかたち―野見山暁治美術ノート野見山 暁治筑摩書房

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